実は8月末に読んでた「わたし、男子校出身です。」、
何かの書評で触れていたので、興味をもって読んでみた次第。
タイトルも気になるしねw。
で、著者は最近テレビでも見かける女性。
でも元々オトコだったというところが取り上げられがちなお方。
本の内容は、そんな著者の生い立ちから、
女性の心に男性の身体を持ってしまった本人の葛藤を綴ったもの。
読んだ後で分からなかったことがあるのだが、
この人はいわゆる「女」になりたかったのか、
それとも自分の持つ女性性を認めてもらいたかったのか、
いったいどっちだったのかしらん?
女性の肉体まで手に入れてるので、いわゆる「女」になりたかったのだろうが、
「今の私で駄目なのか?」というところを、あきらめてしまっているあたり、
彼女の思考も、彼女の女性性への差別のベースとなった男女の文化的な性役割規格から、
ぜんぜん離脱出来てないように思うのだ。悪く言うと、差別する側に回ったなという感じ。
「中年ホモおやじのカップルの愛ほど深いものはない。」という言及を、
以前何かで見て(おそらく根本敬さんか?)いたく感銘を受けたことがある。
そこにはブサイクな姿カタチはもとより、もはや世間体でさえも軽々と乗り越える、
強靭かつ純粋な愛があるということなのだが、そういったものにこそ、
真の女性性があるのではないかとオバタは思うのだがなぁ。
GIDの人のブログ多いねぇ。
文章が面白い人が多いんで何ケ所か定期的に覗いてる。
あるブログの中で
「素性(GID)を隠してOLやってる子がいるの。すごいよね」
「ふうん。それってなんか、さびしいね。
せっかくニューハーフに生まれたのに、
ふつーの女として生きてるんだ」
というやりとりがあった。
むむう。
これはこれで深い。
なるほどねぇ。と思った。
んで、「中年ホモおやじのカップル〜」の件もなるほど〜。
人間って難しい。
オノスキー殿下、カキコさーんくす!
>せっかくニューハーフに生まれたのに
そうそう。なんかね、そういうどんなに厳しい環境でも自分をちゃんと愛することが、
結構大事なのだと思うんですよ。
自分を自分でちゃんと適正評価してあげるってことが、他者を認めることのベースだと思うわけです。