著作と経済と道徳を考える

記録されうるすべての著作物はまぎれもなく複製品である。
複製品としての著作物のオリジナルは、その著作者の頭の中にのみある。
したがってパッケージングされた著作物がそのオリジナルより劣化しているのは当然である。
ところがその著作物を経済価値に変換するためには、なにがしかの「オンリーワン」な要素が必要になってくる。
ここで著作権が出番となるわけで、それは複製品たる著作物をあたかもオリジナルかのように見せ、
対価を要求せしめるための経済システムだ(文化システムではない、と思う)。
この著作権という経済システムの行き過ぎた規制が、文化の展開を止めていないか?と最近よく考えさせられる。
オリジナルに対する亜流、たとえば「〜版」のようなものの派生が新たな文化的展開を生む大きな一要因であるなら、
その亜流派生を最大限規制するような権利の行使は、文化の次展開にとってゆゆしき問題である。
だからといって、権利を無視して何をやってもいいわけではない。他者の権利を尊重するのは「最低ライン」なのだ。
こう考えてくると、最近の著作物に対するいくつかの問題に一番欠けている観点は「何に敬意をはらうのか?」であり、
今、声高に叫ばれる「搾取チャンスの保護」を一番に持ってきてしまうからおかしなことになるのではないかと思う。
ようするにダンディズムの問題で、法は最低ラインなのだから、その上をいくそれぞれの道徳観がとても大事で、
最低ラインを自ら進んで踏み越えるような者や企業に対して、世間はもっと冷酷でなくてはならないと思う。
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なぁ〜んて、最近よく問題になる著作権周辺の事象について、イッチョマエに考えを述べてみましたヨ。
やっぱり道徳は大事やと、最近つくづく思う。道徳があってこそ背徳の甘美さがひきたつわけやし(笑)