誰にとっての「テロ」なのか?

ここ2〜3日、元厚生省のお偉いさんの痛ましい事件の報道が、
どうも気になる。
「テロ」という言葉がよく使われているのだが、これが怖いのだ。
特に初日の報道で、政治家のコメントでこの言葉が多用されていたのが、
とてもよろしくないと思うのだ。
犯行声明らしきものもないうちから、こんな言葉が使われるというのは、
気の毒な被害者の社会的地位がその要因につながっているとの理解が、
国中にあるからだろう。
ただね、これを「テロ」とくくるのは、なんだか「国家反逆罪に認定」と
言っているように聞こえるのだ。まだ殺人事件の状態なのに、だ。
逆に年金がらみでのさまざまな不祥事、これって国民から見たら、
組織ぐるみの詐欺もいいところなわけだが、これは「組織的テロ」にはならんのか?
いまだ犯行声明もない、犯人の動機さえ分からぬ今回の殺人事件と比べて、
国民にダメージを与えている点、国や国民をだましてきた点において、
よほど国家反逆罪的で、まさに「組織的テロ」だと思うのだが。
しかしながら、そうした表現の報道って、今まで見たことないのよね。
そう考えると、今回の「テロ」という言葉を使った報道の氾濫は、
国を動かしている側が、自分たちに都合の悪いことを封印する布石としての
情報操作ではないか?と勘ぐってしまうのだ。
国民の不安をあおらぬようにするためなら、この場合、「テロ」って言葉を
安易にメディアに使わせないだろうに、今回はそんな雰囲気もないしね。
自分たちの脅威へは「テロ」とメディアに呼ばせ、自分たちの失態、国民への裏切りは、
これを「テロ」と呼ばせないやりかた、国としてまずいと思うな。


 

「誰にとっての「テロ」なのか?」への2件のフィードバック

  1. わしも「テロ」って呼ぶのには違和感覚えてた。
    メディアを操作してる雰囲気がプンプンする。
    明るいニュースが欲しいところですな。

  2. ああ、オノスキー殿下、放置プレーすみませぬ!
    この後の犯人の気の抜けた動機とか見てると、
    どうもそれも含めて演出なのでは?
    そしてこの事件全体が世相の不満に対するガス抜き目的で
    演出されているのではないか?
    などと勘ぐってしまいますなぁ。

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