「原因」を考える

最近、少ないところから如何に確実かつ強いものを生み出すか?ということを考えることが多い。
たとえば少ない情報から明確で確実に納得させられるデザインを作るか?とか。
あれこれと言及するほどカッコ悪いものはないわけで、その考えでいくと、
一つか二つの少数のコアに沿って何かを行うことは、本来とても容易いことなのだと思う。
ただ、その「容易いこと」を自分のシゴトに置き換えるとこれが瞬く間に難問になったりするわけで、
このあたりに自分の中の「原因」をひしひしと感じる次第。
もっと客観的に!ということなのかしらん?それとも引き出し不足?(それは慢性的に足りンか・・・)


 

「「原因」を考える」への3件のフィードバック

  1. 「蝶のように舞い、蜂のように刺す」
    オバタさん、
    この青二才が言うのも失礼ですけど、
    人生「ふわり」が要りそうでっせ

  2. トラちゃんかきこさぁ〜んくす!!
    >「ふわり」
    うん、そのとおりですね。オバタの場合、軽薄さに磨きがかかってしょうがないので、
    堂島ロールの生クリームのような「ふわり」感を目指すことにします。
    (って言ってるコメントがすでに軽薄・・・orz)

  3. 軽薄なんすか???
    とてもそう見えないですよ♪
    堂島ロールの生クリームのような「ふわり」感に
    エスプレッソか、ダージリンでクイっといきましょう~♪
    しかし、残念なことに、
    「堂島ロールの生クリーム」を食べたことがありません(泣)
    たべたいようぅぅ~(完全なおねだりモードや。。。)

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