基本的に他者にあまり期待しないようにしてきた。
期待とは、結局自分の思いを相手に投影し過ぎなんじゃないか?と思っていたからだ。
だから、たまに他者から自分が思っていたり考えていたりしたことをされるとすんごく嬉しかったりするし、
たとえ裏切られようと、ちょっと期待したこっちの見る目がなかったんだと、やり過ごすことが出来たりしてた。
ところが最近考えが変わりつつあって、「期待しようとしまいと、裏切られた時は哀しいなぁ」と思い出している。
期待することと裏切りが哀しいというのは、問題のフェーズが違うはずなのだが、
この2つ、どっかで絶対繋がってるんだよな〜。
あ〜、ややこし!
いつもレスにマシュポと書かれているので、
だんだんそっちの方が気に入りつつ…
ちょっと55さんの論点からそれるかもしれませんが、
今読みかけの、『99.9%は仮説』という本の中で、
人はそれぞれ仮定(絶対ではない常識)を持っていて、
単純に自分とは違う仮定の中に生きているんだそうです。
そう考えるとちょっと面白かったりします。
僕は最近逆の立場で裏切り続けてきていたのでは?
と反省しております…苦
おーマシュポ氏(オバタもお気に入り)、カキコさぁ〜んくす!
>『99.9%は仮説』
それぞれが自分の仮定を生きているってのはよく分かるなぁ。
その仮定を絶対的な常識とみたらアウチで、他者の仮定の世界も
認めることが重要なんでしょうね。
とすると、裏切りは他者の仮定を知った上で、確信的にそれとは
逆の仮定を生きることで、他者の仮定の世界に変容を強いること
なのかしらね?
うん、なんだか、そのあたりにヒントがあるような〜。
こんばんわ。
なんか、期待しないでいきてきたって、かなしいと思いました。
55さんは、全く違う世界の人って感じがするしコメントして気分を害したらごめんなさい。
最近、ダニーボイル監督の”ミリオンズ”を観ました。
私は、やっぱり、それでよかったんだって、気付かされたのですが、気が向いたら観てください。
kittyさま、書き込みありがとうございます〜。
>かなしいと
うん、悲しいです(笑)。って、笑い事じゃないんですが。
なんでこんな考え方になったかといえば、それは逆に思い入れの強い自分があったからなのですよ。
ゆえにそれを自己セーブするべく「期待は禁物」となったわけです。
まぁ、我ながらひねくれてるなぁ〜とよく思うんですが・・・
お教えいただいた映画、探してみます。
>確信的にそれとは逆の仮定を生きることで、他者の仮定の世界に変容を強いることなのかしらね?
グ、グフゥ…深いですね…
55さんの優しさと厳しさの部分を感じます。笑
ただ僕が思うのは、
確信的に行う場合と、そうでない場合があると思うんですけど、どちらにせよ、多謝し与える傷、そして自分の仮定を曲げて行う事の自分に対する傷は残るんでしょうね。
高校の頃英語で習った言葉で、
最近マイミクさんのところに書かれてたんですが、
‘The stupid neither forgive nor forget;
the naive forgive and forget;
the wise forgive but do not forget.’
愚人は過ちを許すのも忘れもしない。
凡人は過ちを許して、忘れてしまう。
賢者は過ちを許す、しかし決して忘れはしない。
by Thomas Szasz….
最近分かっていたと思う事が、実は良く分かってないという事が多いです。疑問だらけッス。
許せるようになりたいッス。
>許せるようになりたいッス
ホンマ、そんな度量の大きい人になりたいすねぇ。
その前に「俺を許してくれ!」の段階なのですが・・・(ノД`)