肉塊と認識する

2日前の夜、「気持ちとかココロって何なんやろ」と布団の中で考えてて、ちょっと目が冴えてしまった。
その時の結論からいうと、「オレが思ってる気持ちもココロも肉体の一部で、死んだらみんななくなる。」だった。
感情や記憶をココロによるものなんて思っていたが、考えてみればそれらはみな化学反応の結果や物質ではないか?
感情は、体外からの刺激で発生する神経内の化学変化がさらに脳の記憶に関する部位や肉体を刺激し、
それらが互いにエコーを起こして発生するものだろう。
また記憶も、タンパク質で作られたニューロン同士が連結していくことで保持されると何かの本で読んだことがある。
これとてモロ物質によるものだ。
となると、どちらも肉体の中にあるマテリアルであって、目に見えないものではない。リアルな存在なのだ。
つまり感情も記憶も所詮は「肉」。
そして、オレの気持ちと記憶はオレの肉体あってこそのモノで、このオレの肉体なくしてオレ独自のセンスも創作もなく、
肉体が変異すればそれらも変わっていくのだろう。
いやいや、まさに「我、一塊の肉塊なり」やなぁ、と布団の中でなんとなく認識。
でも、その「肉塊」たる自分を自立せしめているモノってのが最後に残るんだよなー。
肉なんてほっときゃ腐って崩れ落ちるだろうに。まったく誰がオレをオレに保ってくれているのかね?
そのヒトの尽力には「かたじけなさに涙こぼるる」ですな、マッタク。