民話とテレプレゼンス

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昨日のエントリに続き、再び「テレプレゼンス」のお話。
最近「遠野物語」を読んでいるのだが、これが大変おもしろい。基本的には柳田国男が
採取した民話の集積なのだが、「採取した」ということは実際に語り継がれてきたもので、
つまりは虚構、実話を問わず、その民話を語ってきた人たちにとっては、かなりリアルな
日常でもあったのだろうと思う。
さて、そんな民話であるが、やれ化け物が取りついただの取り憑かれただのとかいう話も
多いのだが、これって一種のテレプレゼンスではなかろうか?
たとえば家路を急ぐ旅人が、夜の山中で自分の嫁を見かける。ありえないことなので、
これを化け物と思い、とっつかまえざまこれを殺して、つれのものにこの死体を見張って
いてもらい、急ぎ家に帰り着くと、やはり嫁は家にいるのだ。
ところが嫁になにをしていたか話をきくと、「もうそろそろアナタが戻ってくると思っていると
山中を歩いてアナタを探す夢をみた。なにかヒトらしきものに出会うと突然襲いかかられ、
命を落としてしまう!というところで目が覚めた」と話すのだ。
そこで男は再度さきほどの山中に戻ると、旅仲間が死んだキツネと待っていて、男の嫁が
夢からさめた時分に死体がキツネの死骸にかわったと話を聞く。
これって、ヒトが他の動物のカラダを借りてテレプレゼンスしてるわけで、生物的なボディ
でなく、内的なつながりで他の感覚器官(=動物)に自分をリンクしてる好例ではなかろうか?
こういった話がアホほど「遠野物語」には出てくるのだ。ということは、コトバはなかっただろうが
一般的に精神による「テレプレゼンス」感覚は認知されていたのだろう。
「遠野物語」を語る人々の感覚が、今より進んでいるような気がするのはオバタだけだろうか?